Diary

死んだから公表する意味


 読売新聞、日本テレビそしてテレビ朝日が、徳山高専の女子学生殺人事件で、山林で自殺しているのが見つかった加害者の男子学生に対して、実名報道を始めました。

 マスコミ各社対応はまちまちですけど、実名報道した3社に対して、個人的にはものすごい不信感を感じます。日本テレビで辛抱次郎氏が「報道で5W1Hを伝えるのは当然のこと」と言っていたんですが、僕は逆に「じゃ、なぜ今、実名を伝えるの?」っていう疑問をぶつけてみたいです。

 週刊新潮なんかは、加害者が死亡したことを確認する前だったから、「凶悪犯が逃亡しており、指名手配されているのに実名も顔写真も公開されていないことはどう考えてもおかしい。公表は犯人の自殺・再犯の抑止にもつながる(
asahi.comでの掲載記事をそのまま抜粋)」っていうコメントで、その趣旨は分かるんです。この時点では、他の市民が危険にさらされる可能性もあったわけだし。その流れで現在も実名っていうことであれば、納得できるんです。ま、この週刊新潮のケースでは「結果オーライ」になっているだけ、という考え方もできます。加害者が通常どおり逮捕されていたら、非難の的になりかねない状況だったんじゃないかな、なんてことも考えられますよね。

 ただし、僕は未成年だからと言って、すべて実名を隠すべきだとは考えていません。凶悪事件であったり、逃亡して再犯の可能性があるのであれば、公表した方が良いと思ってます。最近は、未成年の事件が多くなっている印象もあるし、ケースバイケースで対応することもOKではないかなと思っているんです。

 納得できないのは、「死んだから公表する」という1点なんです、僕は。

 確かに少年法で氏名を隠すのは更生を目的にしているので、死亡したら対象外だと言われたらそうなのかも知れませんけど、今回の公表する理由って大した目的が無いんじゃないか、と思うんです。

 そもそも、氏名を公表する理由っていくつかあると思うんですが…

・加害者(被疑者)が逃走している場合などに、再犯をする可能性を食い止めるため(また住民に知らせ、危険を回避させる)
・加害者(被疑者)に社会的制裁を与えるため
・国民に対しての知る権利に応えるため

 こんなとこでしょうか。それで、今回のケースだと…

・加害者が自殺したため、再犯をすることも無いし、住民の危険は無くなった
・結果的にどうあれ、加害者が自殺し制裁を受けた格好にはなっているのと、そもそも未成年は制裁よりも更生に重きを置くべき。また、確かに殺人を犯した重大事件だけれど、他にも連続殺人を犯す危険性のあるような凶悪犯罪とまでは言えない

 …って考えられるような気がするんです。制裁の部分は、成人間近だったことも考えると、社会的な制裁をしっかり受け、ちゃんと謝罪し罪を償った上で更生するべきだったんだろうと思うんですが、現時点ではもうどうしようもないのも事実。

 そうすると、他に氏名を公表する理由はただひとつ。「知る権利」になっちゃうと思うんです。他に公表する理由もないだろうし、「知りたい」という欲求を満たすだけの報道に成り下がってしまって、本来の報道の体裁を備えていない、と僕は強く感じるんです。

 前にも「知る権利」って何度か触れたこともあるんですけど、この権利はマスコミが何でもかんでも公に発表しても良いってことではなくて、本来の意味合いからすれば、国とか地方公共団体に対して、進めている事業などの説明を行わせるための国民の権利のことを指すと思うし、ゴシップ記事を書いて「知る権利」だなんて振りかざせるようなものでは本来はないはずなんですけど、拡大解釈されているような感じがします。

 よく考えてみれば、今の時点で僕らが自殺した加害者の名前を知ったところで、話のネタにはなれど、他になんのメリットは無いんですよ。だから、僕はわざわざ実名報道をする必要性は無いと思うんです。

 加害者の保護者に対する社会的制裁、なんて考えもあるのかも知れませんが、かなりの重い責任はあるものの、自分たちも子どもを失った上に社会的制裁も受けなければならないのは、少しばかり酷なような気がします。(もちろん、加害者の保護者の立場がどうこうという以前に、被害に遭われた女子学生とその保護者のかたの方が、理不尽な仕打ちを受けていることを忘れちゃいけないことが大前提としてなければいけません。)

 もう少し、「なんのために報道するのか」っていうことをマスコミには考えて行動して欲しいと思います。ま、加害者死亡を受けた実名報道を行ったところが少数派だったのが、まだ救いがあるかなとは思いますけどね。

 でも、テレビ朝日と朝日新聞の「朝日系列」で対応が違っているのには笑ってしまいました(苦笑)。
2006年09月08日(金) No.894 (思馳◇社会)