Diary

微妙な問題


 「国旗国歌」のニュース、ちょこっと気になってはいたんですが、無視してました(笑)。

http://www.asahi.com/national/update/0921/TKY200609210287.html

 思想の自由の重みもあると思うし、公立教師であれば国・都道府県から通達が来たら従うべきだとかいろいろネット上でも意見が分かれているようですね。

 ただ、今回の東京都の通達が違憲だとしちゃうと、国旗・国歌を認めない教師の人が子どもに対して、「日の丸」「君が代」を教えなくて良いってことにもなるのかな、と思うんですけどね。

 まあ、この辺が難しいところなんだろうなぁ、と。国旗の前で起立して、国歌を斉唱するような義務命令は違憲・違法だけど、一般教養として「日の丸」「君が代」教える授業(音楽とか社会かな?)で全く教えない場合は職務命令違反になるのかなぁ〜

 でも、そんなに「日の丸」「君が代」って悪いものなんでしょうか? スポーツ大会とかで普通に日の丸を見て、君が代を歌っている僕にとってしてみれば、そんなに拒否するのもなんか変な気がするんですけどね。他の国でも国旗国歌裁判みたいなこと、やってるのかな?

 「日の丸」「君が代」に変わるようなものなんて無いし、拒否する人たちの国旗・国歌って何なんでしょう? それとも単純に「強制」されるのが嫌なだけなのか… 僕にとっては、戦時中のことを思い起こすことができる現・国旗国歌だからこそ、良いんじゃないかなと思うんですが。それが日本の歴史ですから。


 個人的に、スポーツの国際大会で日の丸とか、君が代が流されている中で日本人がそれに顔を背けているようなところは観たくないなあと純粋に思っちゃいます。ま、僕自身にはそんなに愛国心はないんだけども(苦笑)。
2006年09月24日(日) No.930 (思馳◇社会)

いろいろありますね〜


 自民党安倍総裁が誕生したと思ったら、タイではクーデターが起こるし、そんでもってNTT東日本での「ひかり電話」が全面ダウンしているとか…

 世の中は絶えず動いているんだなぁなんて実感してます(笑)。

 にしても、最近気にしているのは、「
Oh My News」というサイト。

 学生時代、少しばっかりジャーナリズムをかじっただけなんですけど、なんだか「大丈夫なのかな?」っていう気持ちがあります。Livedoorでも市民ニュースなんてのをやっていましたけど、なんだかこういうのって、「不満のはけ口」になってしまいはしないかっていうことを気にしてます。

 曲がりなりにもマスコミとしてネット上に自分の氏名を公にして公表するものなので、ちゃんと裏をとって記事を書いているのかどうかってのが疑問なんです。市民ニュースなんて、そこまで手を掛けてやっているのかな、と。結局、感じたことを書きたいように書いているのではないか、っていうにおいが文章から感じる時があるんです。

 僕みたいに言いたい放題言う人は、自分でサイトなりブログなりで書きつづればいいだけだと思うんですが(苦笑)、どうなんでしょうね? ま、出始めのサイトなので、これから見守っていきたいなぁと思います。

 ま、僕はジャーナリストにはなれなさそうですが…(爆)
2006年09月20日(水) No.919 (思馳◇社会)

命名の儀


9.11


死んだから公表する意味


 読売新聞、日本テレビそしてテレビ朝日が、徳山高専の女子学生殺人事件で、山林で自殺しているのが見つかった加害者の男子学生に対して、実名報道を始めました。

 マスコミ各社対応はまちまちですけど、実名報道した3社に対して、個人的にはものすごい不信感を感じます。日本テレビで辛抱次郎氏が「報道で5W1Hを伝えるのは当然のこと」と言っていたんですが、僕は逆に「じゃ、なぜ今、実名を伝えるの?」っていう疑問をぶつけてみたいです。

 週刊新潮なんかは、加害者が死亡したことを確認する前だったから、「凶悪犯が逃亡しており、指名手配されているのに実名も顔写真も公開されていないことはどう考えてもおかしい。公表は犯人の自殺・再犯の抑止にもつながる(
asahi.comでの掲載記事をそのまま抜粋)」っていうコメントで、その趣旨は分かるんです。この時点では、他の市民が危険にさらされる可能性もあったわけだし。その流れで現在も実名っていうことであれば、納得できるんです。ま、この週刊新潮のケースでは「結果オーライ」になっているだけ、という考え方もできます。加害者が通常どおり逮捕されていたら、非難の的になりかねない状況だったんじゃないかな、なんてことも考えられますよね。

 ただし、僕は未成年だからと言って、すべて実名を隠すべきだとは考えていません。凶悪事件であったり、逃亡して再犯の可能性があるのであれば、公表した方が良いと思ってます。最近は、未成年の事件が多くなっている印象もあるし、ケースバイケースで対応することもOKではないかなと思っているんです。

 納得できないのは、「死んだから公表する」という1点なんです、僕は。

 確かに少年法で氏名を隠すのは更生を目的にしているので、死亡したら対象外だと言われたらそうなのかも知れませんけど、今回の公表する理由って大した目的が無いんじゃないか、と思うんです。

 そもそも、氏名を公表する理由っていくつかあると思うんですが…

・加害者(被疑者)が逃走している場合などに、再犯をする可能性を食い止めるため(また住民に知らせ、危険を回避させる)
・加害者(被疑者)に社会的制裁を与えるため
・国民に対しての知る権利に応えるため

 こんなとこでしょうか。それで、今回のケースだと…

・加害者が自殺したため、再犯をすることも無いし、住民の危険は無くなった
・結果的にどうあれ、加害者が自殺し制裁を受けた格好にはなっているのと、そもそも未成年は制裁よりも更生に重きを置くべき。また、確かに殺人を犯した重大事件だけれど、他にも連続殺人を犯す危険性のあるような凶悪犯罪とまでは言えない

 …って考えられるような気がするんです。制裁の部分は、成人間近だったことも考えると、社会的な制裁をしっかり受け、ちゃんと謝罪し罪を償った上で更生するべきだったんだろうと思うんですが、現時点ではもうどうしようもないのも事実。

 そうすると、他に氏名を公表する理由はただひとつ。「知る権利」になっちゃうと思うんです。他に公表する理由もないだろうし、「知りたい」という欲求を満たすだけの報道に成り下がってしまって、本来の報道の体裁を備えていない、と僕は強く感じるんです。

 前にも「知る権利」って何度か触れたこともあるんですけど、この権利はマスコミが何でもかんでも公に発表しても良いってことではなくて、本来の意味合いからすれば、国とか地方公共団体に対して、進めている事業などの説明を行わせるための国民の権利のことを指すと思うし、ゴシップ記事を書いて「知る権利」だなんて振りかざせるようなものでは本来はないはずなんですけど、拡大解釈されているような感じがします。

 よく考えてみれば、今の時点で僕らが自殺した加害者の名前を知ったところで、話のネタにはなれど、他になんのメリットは無いんですよ。だから、僕はわざわざ実名報道をする必要性は無いと思うんです。

 加害者の保護者に対する社会的制裁、なんて考えもあるのかも知れませんが、かなりの重い責任はあるものの、自分たちも子どもを失った上に社会的制裁も受けなければならないのは、少しばかり酷なような気がします。(もちろん、加害者の保護者の立場がどうこうという以前に、被害に遭われた女子学生とその保護者のかたの方が、理不尽な仕打ちを受けていることを忘れちゃいけないことが大前提としてなければいけません。)

 もう少し、「なんのために報道するのか」っていうことをマスコミには考えて行動して欲しいと思います。ま、加害者死亡を受けた実名報道を行ったところが少数派だったのが、まだ救いがあるかなとは思いますけどね。

 でも、テレビ朝日と朝日新聞の「朝日系列」で対応が違っているのには笑ってしまいました(苦笑)。
2006年09月08日(金) No.894 (思馳◇社会)

何とも言い難い


 徳山高専の女子学生が殺害された事件は、どうにも表現のしようがない結果となってしまいました。

http://www.asahi.com/national/update/0907/SEB200609070023.html


 指名手配された男子学生が自殺してしまう、とは。全然そんなこと考えていなかったため、ビックリしてます。大抵の人は、やはり報道に踊らされる格好で、『逃げている』と思わされてましたからね。週刊新潮なんかは、違法の可能性が高い「少年の本名と顔写真の公開」をしちゃったくらいですからね。

 相手を殺して自分を死ぬくらいの何かがあったんだろうけど、結局誰の口からも語られることなく、事件が終わってしまったような感じになってしまいました。でも、「終わった」わけでは全くないんですけどね。

 恋愛のもつれとか、そういうところなんでしょうか。20歳前後の時期ですからねぇ。愛情が何かを切っ掛けに憎しみに変わってしまったとか… ま、想像したところで分かるわけがないですが。

 被害者の家族の方の心境も、大変なものがあるんだろうなあと思いながら、一方加害者の少年の家族の心境もどんなものなんだろうかと気になる気持ちもあります。どちらにしろ、いろんな意味でひどい事件となってしまった感じがします。


 高専という場所を舞台にした事件ということで、悲しいなあと思う感情に支配されてます。とにかく、高専だけに限らず、学校とかで殺人事件は起こらないで欲しいなあと切に願うだけです。

 もう元にもどせないですからね、生命は。
2006年09月07日(木) No.893 (思馳◇社会)

こういうので有名になるのは寂しい


 「高専生」。僕も高専卒なので、ニュースとかで耳にしたりすると気にする少数派です。全国で63校しかないので、ある意味、貴重なのかも知れません。

 まあ、認知度も低くて工業高等専門学校となっているところが多いので「工専」と勘違いされている方がいらっしゃるようだし。実は他にも商船高等専門 学校(商船高専)、電波工業高等専門学校(電波高専)、航空工業高等専門学校(航空高専)などがあります。(←ウィキペディアで調べました…爆) で、基本的には5年間修学で簡単に言うと高校と短大がくっついたような感じで、高校時代から専門的なことをやろうよ、っていうような学校です。

 学校の説明は以上なんですが、ご存じのとおり、今、ニュースから聞かされているのは、高専生の殺人事件。高専OBとしては悲しいし、寂しいものです。で、逮捕状が出たのは同級の男子学生だなんて、ね。

http://www.asahi.com/national/update/0829/TKY200608290289.html

 最近、悲しいニュースが多いですけど、高専って言葉がこういったニュースで有名になって欲しくなかったな、という気持ちが強いです。せっかく、この間「福島高専ホープス」の話題があったのにね。

 特に愛校心が強いわけではないですけど、さっきも言いましたけど、「高専」というマイノリティな学校を出ているっていう部分から、どこかで意識しているところがあるのかも…
2006年08月29日(火) No.870 (思馳◇社会)

ふたたび、って感じですか。


 福岡でまた残念な事故が起こりましたよね。

http://www.asahi.com/national/update/0826/SEB200608260005.html


 決まりとかで罰則厳しくしても、同じような事が起こってしまったのは残念としか言いようがないです。やっぱり酒を飲んだら、車を運転しちゃいけないですよ。何が起こるか分からないし。

 僕なんかは超慎重派なので(汗)、危ない橋は渡らないです。けど、平気で車に乗っちゃう人、多いのかなぁ〜 「自分は大丈夫」って思っている人が多いのかも知れないですよね。

 24時間テレビとかで「命」「絆」の大切さなんてのを観て感動しておきながら、一方では飲酒運転を普通にやっちゃう人がいたとしたら、「何だかなぁ」と思っちゃいます。


 そうそう、24時間テレビで思い出した。KAT-TUNの亀梨くんが主役をやった「ユウキ」ってドラマ、途中から観たんですがなかなか良かったなぁなんて思い出しました。「野ブタをプロデュース!」とかは観なかったけど、演技が自然でなかなか良かったと思います。

 ちなみに原作はこちらだそうです。気になった方はチェックしてみてくださいな。僕は読みかけの本が溜まってきているので…(苦笑)




 時間作って、チェックしてみようかな。その前にコンサートレポート書いてない…(涙)
2006年08月27日(日) No.865 (思馳◇社会)

久しぶりに時事ネタです。


 何となく久しぶりに時事ネタを書いてみようかなと思います。まずは毎日インタラクティブに掲載されている記事を…

http://www.mainichi-msn.co.jp/science/medical/news/20060809k0000m040166000c.html


 医師不足の記事です。ただ、絶対的な人数が減っているのではなく、医師全体の人数は増えているそうで、地域と診療科によって差が生まれているそうです。

 お医者さんも人間ですから、「やっていて楽な仕事」「より幸せに暮らしていける職場」を望むのは当然だと思います。医師を目指す人はストイックにならなければいけない、なんて誰も言っていません。

 記事によると2004年から始まった新しい臨床研修制度では、いくつかの診療科を自分で選んで研修を受けられるようになったけれども、以前は決められちゃったようですね。

 「お前はあそこに行け!」って、過疎地域の医療現場に行ったり、過酷な診療科に行かされたりしたようですけど、以前の医師のみなさんは半ばストイックさを求められて、素直に答えていたって単純に考えちゃって良いのかな、とちょっと考えたりします。

 少し前の人たちも、自分たちで進路を選べるのであれば、「楽」「幸せ」な方を選ぶような気がするんです。ただ、それでも何とかなっていたのって、それだけのものがあったのかなと。

 「それだけのもの」ってのがハッキリしませんけど、おそらく「厳格さを求められていない時代」だったことなのかも知れません。今って、ミスが許されない時代ですよね。何かあったら責められる感じ。でも、昔はそれはさほどではなかったのかな、と。

 仕事が大変な上でミスがあったら責められるのであれば、せめてそんなに大変じゃなくてミスが起こりにくい方へ人が流れるのは、当然と言ってしまえば当然なのかなと思います。もちろん志の高い方もたくさんいると思いますけど、どうしても普段の生活を考えるとそうなのかな、と。


 そう考えると、なかなか根の深い問題だったりするのかなと思います。医学界だけじゃなくて、日本社会の構造的な問題のような気がします。けれど、「じゃ、どうするの?」と言われても、結論が出せなさそう…(汗)
2006年08月09日(水) No.821 (思馳◇社会)

ミサイル


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