Diary

教育


 今、「たけしの日本教育白書」っていうフジテレビの番組を観ています。

 学校とは何か、教育って何、しつけって何だろう。いろいろと話が出ていて、目から鱗の話もありました。

 日本の教育って個性を潰すというか、画一的だっていうのは、もう周知の事実だと思います。国からの指導要領に基づいて教育をやっているんですけど、指導要領も細かいところまで踏み込まないで基本的な部分だけにして、後はそれぞれやってくれよっていうのでも良いような気がするんですけどね(苦笑)。

 「政策」として国が何かやるっていうような部分ではないのだろうなぁと少し思います。国で指導要領などのルールが、いわゆるレールとなって、そこからはずれる子供たちをカバーできない。もともと、1つの指導要領ではカバーなんか出来ないんですよ。「個性を伸ばす教育」なんていうことも言われていますけど…… うーん… レールに子供たちを乗せちゃったら、子供たちは自ら考えようとしなくなっちゃいます。「総合教育」でしたっけ、小学校とかでそれぞれ考えさせようとする時間がありますよね? でも、結局は現場の先生が、何をやらせようかと考えて、逆に「何をやっていいか分からん。何とかしろ」という話が起こる。子供たちも先生たちも、レールの上に乗った教育を受けているから、本末転倒な話になってしまうんだと思うんです。

 かと言ってねぇ… 現場の学校の先生も、話を聞くとサラリーマン先生みたいな感じの人が多くなってきて、余計なことをやらずに淡々と授業をされたりすることが多くなっているようで。ま、当たり前ですよ。何かやったら保護者たちPTAに文句を言われますから。

 保護者も保護者で文句を言うだけ言うけど、自分のところでは「怖いオジサンに怒られるからやめなさい」と、理由になっていないしつけを子供にしている。これでは訳分からなくなりますよ。

 番組内では、学校に5時間いればよい、先生のいないアメリカの学校っていうのが紹介されていました。全てを子供たちに任せることにより、子供に自主性を芽生えさせるというものでしたが、本当に驚きだったし、なるほどと納得させられました。自分でものを考えて、「やろう」と思わないと学習になりませんし。日本も見習う点が多いなぁと感じました。

 今の日本は、石原慎太郎東京都知事も言ってましたけど、頭でっかちになっているんですよね。知識は多く持っているんだけど、それをどうするか考える力などの肝心な部分が育っていないから、いろんな事件が起こるんだというのはもっともだと思います。これは僕も過去の日記に書いたことがあったかな、なんて思います。

 後は… シュタイナー教育ってのがあったんですけど、すっかり内容を忘れてしまいました(苦笑)。ドイツで発祥した教育方法だった記憶があるんですけど… これも自主性を重んじる内容だったと思いますが…


 ちょっと長くなってしまいました(汗)。やっぱり教育は大切なんですよね。それは重々分かっているんですが… 難しい問題です。
2005年11月12日(土) No.275 (思馳◇社会)